❏ 発音の注意点 (1)
mihi excelsis ,そしてイタリア語の発音との違い

日本語で書かれたどの解説書にも,標準発音であるイタリア式の実際(大勢)と違うことが書かれています。
 それは,ミサ曲やレクイエムに出てくる単語で言えば mihi と excelsis の発音です。


mihi は実際のイタリアでの発音は[ミー]または[ミヒ]です。
 日本のほとんどの解説書に書かれている[ミキ]は,19世紀後半から20世紀の最初にかけてグレゴリオ聖歌の校訂に大きな貢献があったフランスのソレム修道院の発音です。
 [ミキ]と言う人がイタリアにまったくいないわけではありませんが,中世の時代にあったひとつの変な読み癖をひきずったものです。20世紀の前半まで[ミキ]とも 言ったのは確かですが,ラテン語として考えると作為的で不自然な発音です。今ではイタリアではほとんど廃れており,標準的なイタリア式とは言いにくいものです。

現在の実際の発音を下の3つの典型例でお聞きください。最初の2つは “Mihi autem nimis” というグレゴリオ聖歌です。ひとつめは29秒から,ふたつめは35秒から聞こえる最初のことばが mihi。3つめはベルディが作曲したレクイエムのスカラ座公演のもので,33分28秒から48秒あたりまでに mihi quoque spem dedisti という一節が2回聞こえます。


もうひとつの excelsis ですが,これはミサ曲の Gloria の最初の “Gloria in escelsis Deo.”(高いところ[天]において神に栄光があるように)Sanctus“Hosanna in excelsis.”(ほぼ同じ意味)に出てきます。ex [エクス]の部分はもともと接頭辞なので,きちんと言おうとすれば ex-celsis と分けて[エクスチェルスィス]になります。でもそれだとすこし発音しにくいので,実際にはイタリアでは多くが「ス」だけを省略して[エクチェルスィス]と発音します。
 ほとんどの解説書にも書かれている[エクシェルシス]は相当崩れた発音か,なまった発音です。意識してこのように言う人はイタリアにはまずいないでしょう。標準的なイタリア式の発音とは絶対に言えません。
 「エクシェルシス」と読ませるのはやはりフランスのソレム修道院のやりかたです。でも,なぜソレム修道院がこんな変な発音を選んだのかは調べた範囲ではわかりませんでした。フランス語に[チェ]の音がないことと関係するかもしれません。

現在の実際の発音は下の3つのYoutube動画で典型例をお聞きください。ひとつめは独唱で[ス]抜きの[エクチェルシス]。2つめはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂で現在の教皇がとりおこなっている実際のミサの一部で(4秒から:2019年のクリスマスのもの),朗唱者はしっかり[エクスチェルシス]と言っています。3つめはドニッゼッティのミサ曲で(10分0秒から8秒にかけて2回の in excelsis),イタリア人のソリストたちはみな[ス]抜きの[エクチェルシス]と言っているようです。


イタリア語の発音との違い
 イタリア式のラテン語の発音といっても,ふつうのイタリア語のようには読まない点があります。非常に細かい話になりますが,ここで説明しておきます。

(1) 音節の分け方,音節数の違い: ia, io など「i + 母音」の綴りはラテン語では i のあとに音節の切れ目を置きますが,イタリア語では切りません。たとえば,同じ綴りで同じ意味でも sociale はラテン語では so-ci-a-le という4音節なので,作曲家も ci と a を違う音節として扱います。イタリア語なら so-cia-le で3音節です(イタリア語の cia は[チア]ではなく[チャ])。また,gloria はラテン語では glo-ri-a という3音節ですが,イタリア語なら2音節で glo-ria(ria をひとまとまりのものとして言うので,すこし[リャ]に近い感じの[リア])

(2) tia, tie, tio の発音: ラテン語としてはこれを[ツィ・ア][ツィ・エ][ツィ・オ]と発音します。2音節です。イタリア語では[ティア][ティエ][ティオ]で,それを1音節で言います(くわしくは上記メニュー「調査の詳細」の注17の最後を参照)

(3) 母音間の s: イタリア語の標準発音では vaso(壺・鉢)は[ヴァー],naso(鼻)は[ナー]と,単語によって濁る濁らないが一応決まっています(ただし,イタリア北部ではいつも濁り,南部では濁らないという傾向もあります)。イタリア式ラテン語ではそういう決まりはなく,大勢としてはどの単語でも濁ります(例外については「調査の詳細」5.2.4節の4行目最後からを参照)

(4) アクセントがある母音の e と o: イタリア語の標準発音ではたとえば buono(良い)の o は口の上下の開きが大きめで,ora(時間)の o は口の開きが小さめというように,単語による決まりがあります(これも地域差がありますが)。イタリア式ラテン語ではそういう決まりはなく,傾向としてはいつも広めです(くわしくは「調査の詳細」5.2.5節)